【小学校教員】「教員失格」とモンスターペアレンツから罵声を浴びせられる日々。

【小学校教員】「教員失格」とモンスターペアレンツから罵声を浴びせられる日々。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
小学校,全教科

【当時の住まい】
賃貸アパートで夫と二人暮らしでした。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し主婦





【就職のきっかけと経緯】
経済的な理由から,地元の国立大学に進学したく,国立教育大を受験しました。
合格,進学し,他にやりたいこともなかったので,教員を目指しました。
教育実習やボランティア活動を通して,子供の成長に携われる喜びを感じ,教員になりたい気持ちが膨らみました。
教員採用試験に向けて勉強していく中で,授業づくりをするのが楽しく感じました。
勉強の楽しさを伝えられる喜びも感じました。
自分が作った授業で,子供たちが「わかった!」「楽しい!」と思ってくれることを望んでいました。
また,子供たちとの関りを通して,成長を感じられることを望んでいました。

【環境と仕事内容】
全校600人程度(1学年3学級)の小学校で,職員は50名程度,ポジションは学級担任でした。
教科は体育以外の全教科,学年音楽も担当していました。
校務として,総合的な学習の時間の主任をしていました。
その他,清掃主任,給食主任も担っていました。
学級の子供たちは賑やかで,明るい子供たちでした。
やんちゃな部分もあり,しょっちゅう問題が起きていました。
保護者は様々でしたが,あまり学校に協力的ではなかったように思います。
運動会などの行事を除き,土日祝日は休みでした。
給与は手取り18万程度,ボーナスは2.5か月分を年2回もらえました。

【大変だった時期】
大学新卒で教師になり,ずっと大変でした。
特に大変だったのは,初任校から2校目に移動したとき,勤続4年目です。




【大変だったこと】
児童の問題行動や不登校などが多い学校なのに,研究に力を入れていて本末転倒だったことが物凄く負担でした。
夜遅くまで研究,話合いがありましたが,それよりも子供のためになることをすべきだと思いましたし,保護者に電話連絡しなければならないことも多く,仕事の両立が難しかったです。
定時過ぎに会議があるのが当たり前でしたので,帰宅が21時を過ぎることも多々ありました。
それでも,次の日の授業の準備をする時間はなく,準備不足の授業を行う日々でした。
仕事が多すぎました。
児童の問題行動があると,保護者に電話連絡をしたり,家庭訪問をしたり,来校していただいたりとイレギュラーな対応が求められました。
そのたびに保護者から罵声を浴びせられたり,関係する先生方と連携を取ったり,報告資料を作成したりと,負担が増えました。
私だけでなく,ほとんどの教員がそのような立場に置かれたことから,皆心に余裕がなくなり,職員室の雰囲気はあまり良くありませんでした。
陰口を言う職員もいれば,会議で叱責する職員もおり,それを正すような管理職の指導もなく,精神的にきつい思いをしました。
特にひどいと思ったのは,病気休暇を取っている職員に対する陰口です。
つらい思いをしている人に対して陰口を言う感覚が理解できませんでした。

【大変だった期間】
1年と2か月続き,私は病気休暇に入りました。
その後休職,退職したので,今でも続いているかは分かりません。




【当時の心境】
とても苦痛でしたし,嫌悪感も感じました。
異動すれば良くなるとも思えなくなっていました。
学年主任でもない自分が意見を出しても聞き入れてもらえないので,もどかしさはありました。
当時,「来年度産休,育休を取って,その後退職しよう」と誓いました。
それでも楽しかったのは,教室での時間です。
やはり授業は楽しいものでしたし,休み時間や給食時間に子供たちと会話するのはすごく楽しかったし,癒しでもありました。

【職場が大変だった原因】
教員の仕事は終わりがないので,仕事内容でしょうがない部分もあります。
しかし,研究を第一に考えている学校の体質にも問題があったと思います。
また,規模が大きいために,末端の意見が反映されない点も問題でした。
自分の意見を押し通し,乱暴な言葉を使う特定の人物もいました。
その方の影響もあると思います。




【仕事で良かったこと】
やはり子供たちとの関りや,成長を実感できた時,やりがいを感じました。
子供たちが本気になって一丸となっている姿は,この職業じゃないと見られないものだと思います。
大きな行事を終えたときに,充実感や達成感を覚えました。




【特にひどかった最悪の出来事】
児童間にトラブルがあり,保護者に電話で「教員失格だ」と怒鳴られ,その後2週間ほどその児童が登校しなかったことです。
2週間毎日,怒鳴った保護者に電話を掛けました。
トラブルに関わっていたほかの児童への聞き取りも何度も行いました。
ほかの児童の保護者にも電話で連絡を毎日のようにしました。
2週間電話をかけても,出てもらえなかったり,話を聞いてもらえなかったり,登校は断固拒否,家庭訪問も拒否でした。
2週間後にやっと保護者が来校し,話合いを持ち,その場でも追い詰められました。
とにかく謝罪するしかありませんでした。
その後該当児童は登校するようになりましたが,毎日のように保護者へ「今日も元気に過ごしました」と電話しました。
該当児童と関係した児童を毎日集めて,反省会を持ちました。
進級するまで半年間毎日続けました。
他にも仕事はあるし,他のトラブルも起きるし,とんでもない負担でした。




【相談した人・助けてくれた人】
組織対応をしたので,教頭,学年主任,生徒指導主任を頼らせてもらいました。
同学年の先生には愚痴を聞いてもらいました。
精神的に救われました。
「先生が悪いんじゃない。」と慰めてくれたのが救いになりました。
愚痴を聞いてくれたのも,逆に愚痴をこぼしてくれたのも一人じゃないと思え,ありがたかったです。

【改善のための行動】
とにかく根気強く丁寧に対応することです。
時間はかかっても,面倒でも,丁寧に対応するのが一番だと思いました。
人間関係については,適当に合わせることにしましたが,自分を押し通す特定の人物とはうまくやれませんでした。
なるべく愛想良く接していましたが,怒鳴られました。
その時は,学年部の先生が味方になってくれました。




【現在の状況と心境の変化】
あれから2年経ちました。
あの1年は何とか乗り切りましたが,その後,たまりにたまったストレスで体調を崩し,休職し,退職しました。
休職中,この仕事について何度も悩みました。
仕事に満足はできていなかったし,このままでは健康に働けないと思いました。
休んだことで,ようやく私生活を取り戻せたような気がしました。

【学んだこと】
嫌な事から離れる,引きずらない,逃げるのも大事ということが分かりました。
すべてに対し,真摯に対応すると自分が削られます。
何よりも大切なのは自分だと学びました。



【当時の自分へのアドバイス】
仕事を最優先にしてはいけない。
職場への配慮で私生活を後回しにしてはいけない。
私生活を最優先にすべき。
「こうあるべき」は捨てて,何をしたいか自分の心の声を聞けるようになってほしい。
仕事は人生のほんの一部でわき役であり,メインではない。
仕事を中心にするのではなく,楽しいことを中心にして生きていってほしい。