【中学教員】教頭に身に覚えのない事で説教され、次の日職員室に入ると過呼吸をおこす程の激しい同僚のイジメ。

【中学教員】教頭に身に覚えのない事で説教され、次の日職員室に入ると過呼吸をおこす程の激しい同僚のイジメ。

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
35歳

【当時の職業】
中学校で相談室(普通教室に入れない生徒の教室)で全科目授業のアシスタントと心のケア、寄り添い

【当時の住まい】
離婚して、収入も低く、親にもの精神的にも物理的にも頼れなかった為、市内の母子ホームという施設に入居していた。
私と小学校3年生の娘と2人暮らし。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
転職して、違う業種で働いている





【就職のきっかけと経緯】
元々教員免許を持っていた為、市内の臨時職員として募集をしていることを知り、履歴書を提出して採用された。
臨時職員が1年任期であった為、その後失業手当をもらいながら、職業訓練校でWORDとEXCELの3級取得を目指す為の前段階として就職した。

【環境と仕事内容】
中学校で相談室(普通教室に入れない子どもの教室)で全科目授業のアシスタントと心のケア、悩み相談、寄り添い。
学校で相談室(普通教室に入れない子どもの教室)で全科目授業のアシスタントと心のケア、悩み相談、寄り添い。
市立中学校で生徒が600人ほどの規模。
臨時職員という立場であった。
職員の人数は覚えていない。
教科は専科の先生が入ってくれた場合はアシスタントとして学習を進めた。
相談室に常にいる生徒達は慣れると、相談室内ではにこやかに話をしたり学習をするものの、外部の生徒とはほとんどコミュニケーションを取れない状態であった。
保護者は相談室にいる事を学校内では内緒にしていて、普通教室(原級)に戻ることを強く望むこともなく、取り敢えず学校に毎日行ってくれれば良いと言うような感じであった。
生徒のうちの1人は、同居の祖父母、妹(小学生)にも相談室にしか登校できていない事を知らせてない状態であった。
休日は土・日・祝祭日夏季・冬季休み
給与は手取りで14万円ほどだったと思う。

【大変だった時期】
赴任してから任期の1年間はずっと大変だった。




【大変だったこと】
教頭がとても嫌な人で意地悪であった。
私に対する風当たりが強かった。
相談室という制度がそもそも歴史のあるものでなく、相談室への理解が無かった。
保護者は放任している(諦めている)感じが強く協力的でなかった為、連携を取って支える、ケアするという感じではなかった。
普通教室から本人は「いじめを受けている(仲間外しにされている)」という訴えの生徒がいたが、クラスの生徒への聞き込みをすると、彼女が他の生徒に対して「睨む」「舌打ちをする」「陰口を言う」「特定の友達を束縛しようとしている」事などが積もり積もった結果、「仲間外し」に会っていた。
加害者が口をきいてもらえなくなって被害者となったと言うようなケースであった。
保護者とも三者で面談した時に、「弟にしている態度と同じ」と彼女の落ち度を一度は納得したが、子供可愛さから、その行動を改めるという方向に行かず、結局相談を受けた私のせいで原級に戻れないと言う主張になり、親子共々、手に負えない状態であった。

【大変だった期間】
1年任期で、教頭の意地悪は1年間ずっと続いた。
相談室での指導を勘ぐり終業後3時間も立たされ説教のような事もされた。




【当時の心境】
生徒達が心を病んでいるのもあり、教頭先生の私に対してのいじめに近い風当たりの強さから、一時鬱状態になってしまい、精神科に通院し、抗うつ剤を飲みながら勤務した。
私が母子家庭で子どもも小さかった為、また任期も1年で、その後職業訓練校に通いたいという計画もあった為、辞職という考えはなかった。
いつも相談室にいる3人の生徒とは良く話をしたり、プールが空いていて暑い日は水泳などをやったり、絵を描いたり、英語の音楽を聴いたりし、聞きとりをした後、歌を歌ったりと楽しく過ごしていた。
原級の生徒やたまに相談室に訪れ相談する他の生徒とのコミュニケーションは中々成り立たないところがあったが、相談室内の3人の中では関係も良好で穏やかな毎日を送っていた。

【職場が大変だった原因】
相談室というのはその何年間か、臨時職員を迎えて行われていたが、指導要領や研修がある訳ではなく方向性が定かでなかったのが、一番の大変な原因となっていたように思う。




【仕事で良かったこと】
生徒達が時には泣いて話すこともあったが、にこやかに登校して継続して学校に来た時は嬉しかったし、達成感もあった。
そのうち1人の生徒は当時から携帯電話を持っていた為、数年後、その番号に電話したところ元気に働いていて、彼氏もいると嬉しそうに話してくれた。
久し振りに電話して近況をお互いに話せるくらいに、お互いを良く知り、信頼関係を築けた事は双方にとっての財産であったと思う。




【特にひどかった最悪の出来事】
上にも書いたが、普通教室から本人は「いじめを受けている(仲間外しにされている)」という訴えの生徒がいたが、クラスの生徒への聞き込みをすると、彼女が他の生徒に対して「睨む」「舌打ちをする」「陰口を言う」「特定の友達を束縛しようとしている」事などが積もり積もった結果、「仲間外し」に会っていた。
加害者が口をきいてもらえなくなって被害者となったと言うようなケースであった。
保護者とも三者で面談した時に、「弟にしている態度と同じ」と彼女の落ち度を一度は納得したが、子供可愛さから、その行動を改めるという方向に行かず、結局相談を受けた私のせいで原級に戻れないと言う主張になり、親子共々、手に負えない状態であった。
また、その担任は高校からの交換交流教員であり、我関せずで、全く力になってくれなかった事、中学生という思春期ならではの問題に向かい合う姿勢も無く、本当に使い物にならなかった事にはがっかりであった。
また彼女が他の生徒に対して「睨む」「舌打ちをする」などの不愉快な行動は以前から繰り返し行われていたが、担任は加害者の主張を鵜呑みにし、他の生徒の訴えを全く聞きいれなかった為、問題行動や双方の嫌な関係が長期化して根強くなり、修復により時間が掛かってしまった。
担任が気が利かず、彼女が相談室から原級に戻る時も、話し掛けてあげるように他の生徒にお願いをしておくなどの根回しなども無く、結局1人孤立するようになった事も問題であった。
プライドの高い男性の教諭に助言も出来る訳も無く、同僚、親、生徒との人間関係が上手く回らない事に苦しんだ。




【相談した人・助けてくれた人】
相談にのってくれたのは、保健室の先生であった。
相談室が出来る前は、生徒達の多くは保健室登校をしたり、いじめや悩み事の相談なども保健室の先生に頼る事が多かったのだと思う。
相談室が出来てから、明らかそう言う生徒が減った事で、保健室の先生が私に対して、高評価してくれた為に、今度は私の相談や声掛けなどをおくって下さり、助けてくれたのだと思う。
特に教頭から就労時間外に3時間も、相談室での指導は「こうやっているのではないか?」「こういう事を言っているのではないか?」等責め立てられた次の日は、職員室に入るなり、私が過呼吸を起こしてしまった。
その後、職員室に入りづらい状態になったが、毎日気にして声を掛けて頂いたので有難かった。

【改善のための行動】
相談室に常時いた生徒3人に対しては、居心地がいいように常に心掛けた。
原級に戻る事よりも、毎日学校に安定して楽しく通える事を優先とした。
皆で話をする事も重要としていた。
音楽を聴いたり(常に音楽を掛けっぱなしにしていませんでした)、話をしたり、絵を描いたり、学習したりと常に何かに取り組んでいないといけないとの決まり事を作っていた。
気持ちがのらない時も他の人の話を聞くなど、少ない人数でも1つのクラス(仲間)として機能するように心掛けた。
その結果、毎日登校して時間まで相談室にいる事に成功した。
失敗したと言うか、その生徒達の本音を聞き出すのには時間がかなり掛かった。
常に誰かがいる状態で話をしていたので、個別で話す時間も取れば良かったと反省をしている。
人間関係が出来ない中で全員も前で自分の本音を語るのは本当に時間が掛かると思った。




【現在の状況と心境の変化】
それから、20年近く経った。
その後、相談室の在り方が問題だったのか、予算が割けなかったのか、相談室という教室は無くなったが、学校は今も存在している。
3人居た生徒のうち携帯を持っていた生徒とは、数年後話が出来、社会に適合して働いている事、彼氏も出来て幸せに暮らしている事を知った。
私は1年の任期を終え、直ぐに雇用保険をもらい、職業訓練校に入校して、EXCEL・WORDの3級と日商簿記3級を取得し、事務員として働いている。
私は今回記述した学校の他に大学を卒業し中学校の教員として働いた経験がある。
何故事務員を選んだかというと、教員の仕事は人間関係も多く(同僚・親・生徒の3者)ストレスとなる事、部活指導(土日祝日出勤ありで手当はなし)、授業準備や行事準備の為に残業が9時くらいまで掛かる(もちろん残業手当なし)、家に帰ってからも自分の親に「先生でしょ?」と普段の行動から注意され、365日、24時間先生という枠から抜け出せない等、様々なストレスがあり何もかも割に合わないので、事務職への転職した。

【学んだこと】
教員は最後のボランティア団体であると思う。
給与は割に合わず、休みもなく、年下の生徒は言う事も聞かない、馬鹿にする、傷つけられる等、良い事の方が少ないと思う。
結局何が良くて、教員を続けている先生がいるのか、分からなかった。
それは教員になっても分からなかったし、自分が生徒の時は中学校が荒れていたので、先生を殴ったり、万引き、補導される生徒の面倒を夜遅くまでみる先生が理解できなかった。
何故それなのに、教員免許をとり、教職に就いたかというと、私が母の言いなりで、「将来は先生と呼ばれる職業に就け」と幼い頃から洗脳されていたからである。



【当時の自分へのアドバイス】
当時の自分に言う事は、意地悪して来た教頭先生などを我慢せず、教育委員会に訴えたり、他の先生に訴えて、意地悪されている、いじめを受けていると大騒ぎすれば良いとう事。
しかし、一番のアドバイスは、教職なんてものに就く事を停めます。
世の中には沢山の仕事があり教員に拘る必要はない。
母親に支配されて教員となったが、それ自体が人生で無駄であった。