【中高一貫校】夢の教員生活。苦痛を与えたのはは生徒でも保護者でもなく、同業者だった日々

【中高一貫校】夢の教員生活。苦痛を与えたのはは生徒でも保護者でもなく、同業者だった日々

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
25歳

【当時の職業】
中高一貫校で中学理科、高校生物

【当時の住まい】
賃貸マンションで一人暮らし。

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し主婦





【就職のきっかけと経緯】
教員採用試験に落ち、私立学校の募集を見つけて応募しました。
自分自身、小中高と公立出身だったため私立学校がどういうものか興味もあったからです。

【環境と仕事内容】
・中高一貫校…高等部は1学年約20クラス(1クラス30-40人前後)、
・高校の担任で校務分掌は教務、入試広報
・教科は中学理科、高校生物。
化学基礎
・部活動は理科部2年、バレー部1年
・人数がかなり多い学校だったので、生徒の偏差値はコースによって差があった。
比較的素直な生徒が多かったが、私立だったこともあり、親の学校に対する関心度は公立よりも高かったように思えた。
・休日はバレー部の時はほとんどなかった。

【大変だった時期】
最初から仕事量は多く、大変だと感じることは多かったですが、3年目にいきなり運動部の副顧問にされ(1,2年目は文化部)、顧問(体育教師)からの圧力みたいなものがつらかったです。




【大変だったこと】
・バレー部の時は、顧問からの圧がすごくつらかった。
副顧問なのに毎日来いスタイル。
休みの日は当日の朝に「今日は○○高校で練習試合だから」と電話が来て、車で2時間かけて○○高校へ行った時もあった。
その中でも、一番つらかったのは、私は理科担当で、秋後もになると入試問題の校正(全理科の先生が集まる)があり、部活へ行くのが、おわる時間ギリギリになってしまった時に「すみません。
入試問題の校正でおくれました」
と顧問に謝ると「お前がいなくても大丈夫だろう」と言われた。
いつもならさらに謝罪をして丸く収めようとするが、私は「今日は私が作成した問題の校正をしてもらう日だったので」といつもより少し強い態度にでたところ、「お前のその態度が気に食わない」といわれ、悔しくてトイレで泣いた。

【大変だった期間】
毎日のように憂鬱だったのはバレー部の1年間。
初めて体調を崩し1週間休んだ。




【当時の心境】
当時は朝7時に出勤し、21時頃帰宅しごはん・お風呂を済ませ23時には寝るような生活でした。
労働時間の長さや、生徒対応、担任業務や授業はつらい日も正直ありましたが、1つでも生徒からうれしい言葉をかけられると乗り切ることができた。
(担任をしているクラスでうまくいかないことがあっても、授業担当クラスではうまくいったなど)
荒れたクラスの授業は精神的にしんどい時もありましたが、「なんだかんだこの子たちも学校にはちゃんときているんだな」と思うと、少しだけ気持ちが前向きになれた。

【職場が大変だった原因】
・部活に関しては、顧問のせい。
もともと副顧問になったのも、顧問があまり部活に来ないと保護者からのクレームがあった。
そこで私が副顧問にされたのもあり、顧問のことはどうしても良くは思えなかった。




【仕事で良かったこと】
やりがいは、生徒の成長がみられたこと。
勉強面だけでなく、人間性の部分でも一年間を通してクラス担任や教科担任をしていると、成長を感じることができる。
1年間のうちでも特に毎年3月は「この仕事をしていてよかったな」と思えることができた。
とてもつらかったバレー部も、生徒と保護者の方には恵まれていて、あたたかく接してもらえたことはうれしかった。




【特にひどかった最悪の出来事】
重複してしまうのですが、バレー部の顧問とのことです。
私立学校だったこともあり、入試問題の校正の時期は、5教科の先生たちは普段の業務に加えて入試問題関係のことでとにかく忙しくなります。
私もなるべく、部活動に顔を出すようにしていましたが、なかなか入試問題の話し合いが進まず、「続きはまた明日やろう」ということになり、時計をみると18時半。
すでに部活動の時間は終わりで、「明日また何か言われそうだな」と憂鬱な気分で職員室へ戻ると、バレー部の子がいて「ごめんね。
いま戻ったんだ。
何かあった?」
と聞くと「○○先生(顧問)が、最後の挨拶とカギ閉めは△△先生(私)にやってもらえって言っていました」と。
私は急いで体育館へ行き、生徒に謝り、戸締りをしました。
私だって、さぼって行かないわけではないのに、わざとらしいこの行動が嫌でした。
生徒をつかって私に言ってくるのも嫌でした。




【相談した人・助けてくれた人】
顧問と同世代の先生たちから、「大丈夫?」「大変だね」と気にかけてもらえたのはうれしかったです。
状況を変えることは無理とみんなわかっていたけれど、そういう言葉がけは、励みになりました。
ただ、どこでどういう風に伝わるか怖かったので、上司たちには顧問の愚痴は言えませんでした。

【改善のための行動】
顧問や、自分の副顧問という立場を変えるための行動はしなかった。
誰かに相談して、変に顧問に伝わってしまうほうがこわかった。
それでも、生徒や保護者の方は顧問の本性?も知っていたので、あたたかい言葉で接してくれた。
特に保護者の方々は、私が若かったこともあり「大丈夫?」「ストレスたまってない?」など声をかけてくれた。




【現在の状況と心境の変化】
当時、教師という憧れの仕事に就くために、遠距離恋愛という選択をした。
つらいけどやりがいのある仕事を辞める決心がつかなかったが、顧問のおかげ?でやめる決心がつき、結婚を理由に退職した。
退職してからは、百貨店で働いたり教育以外の仕事もしてみて新鮮だった。
しかし、やっぱり教育に携わる仕事がしたくて、育児中でもできる在宅の仕事(模試の採点業務や子育てサイトの記事の執筆)をしている。

【学んだこと】
「生き抜くには、息抜く力も必要」ということ。
生徒のために100%のちからでと思っていて、手を抜くと罪悪感があったが、100%でいると精神的におかしくなると学んだ。



【当時の自分へのアドバイス】
・断る勇気をもつ…まじめな人ほど仕事をふられて、いいように使われてしまうこともある
・休んでもいい…「休む=悪い」みたいな風潮があり、熱があっても行っていた。
バレー部になり、急に声が出なくなるまで休んだことがなかった。
体を無理してまで続けなくてもいいんだよと言いたい
・信用できる人を見つける…信用できる「大人」を見極めていたら状況が変わったかもしれないと思うことがある