【聴覚支援学校】採用試験合格!晴れて工業高校の先生だ!でも配属されたのは聴覚支援学校!?手話もできないしどうする…?しかし問題はほかにあった…

【聴覚支援学校】採用試験合格!晴れて工業高校の先生だ!でも配属されたのは聴覚支援学校!?手話もできないしどうする…?しかし問題はほかにあった…

【性別】女性
【年齢】(仕事が大変だった当時)
23歳

【当時の職業】
聴覚支援学校 高等部

【当時の住まい】
賃貸アパートで一人暮らし

【その仕事はまだ続けてる?もう辞めた?】
今は退職し主婦





【就職のきっかけと経緯】
工業高校出身で当時の恩師と一緒に働きたいと思ったのがきっかけです。
工業大学に進学し、教育実習で実際に授業をし、生徒の成長や笑顔が見れることに魅力を感じました。
教員免許を取りました。
工業の枠で教員採用試験に合格したものの、配属先は聴覚支援学校でした。

【環境と仕事内容】
所属 聴覚支援学校 高等部
担当科目 工業分野の座学、実習
部活動 運動部
担任 あり
学校の規模規模 全校生徒50〜60人程度
幼稚部〜専攻科(3歳〜20歳)の生徒が在籍。
教員数は生徒1に対し、教員2というような構図
休日 週1(土曜日は部活動)
残業時間 100時間/月
給与 手取り20万円ほど

【大変だった時期】
初年度から大変でした。
聴覚に障害をもつ生徒たちとのコミュニケーションに必要な手話を覚えるところからスタートでした。




【大変だったこと】
支援学校は楽だからと転勤してくる人が多く、口出しはするけど仕事はしない先生ばかりでした。
そのしわ寄せが、出来る教員・若い教員に集中し、結果、心身に異常をきたし休職する方が多かったです。
尊敬できるような人が休職し、できない・やらない人は無駄話に花を咲かして笑っているような最悪な環境でした。
休職はしませんでしたが、私も体調を崩した一人です。
学校にいる時間は12時間以上で、残業時間100時間超えは当たり前でした。
データを持ち出せない仕事は学校でやり、家に帰ったら授業で使うスライドやプリントなど準備をし、睡眠もままならない生活を送りました。
二年目が特に大変で、二年目なのになぜか役職が4つもついていました。
さらに業務が増え、休日の部活動の後は学校に残り、書類作成に追われました。
毎朝、寝起きで吐き、食事ものどを通らず、どんどん体重は減っていきましたが、わたしがやらなければ生徒が困るという一心で生きていました。

【大変だった期間】
退職するまで続きました。
退職するまで続きました。




【当時の心境】
カラダに異変が起きるまでは「わたしがやらなきゃ」という気持ちでいっぱいでした。
誰も信用できない、どうせやってくれない、頼んだら悪口を言われる、休んだら「あの人も休むのね」なんて言われて仲間外れにされる、そんな考えばかりでした。

【職場が大変だった原因】
学校全体の雰囲気だと思います。
休む人は迷惑だという雰囲気が蔓延していました。
迷惑だという人は基本的におしゃべりが多く、仕事をしてくれないような人でした。




【仕事で良かったこと】
とにかく、生徒とコミュニケーションが取れる授業の時間が救いでした。
生徒の笑顔や、成長を見ていると他の業務のことを忘れ、自分が教員になった理由を思い出せる気がしました。
生徒の「わかった!」「できた!」がとにかくうれしくてたまりませんでした。




【特にひどかった最悪の出来事】
業務が増え、「時間がとれないので部活動の副顧問を下りたい」と顧問に相談したのですがなかなか許してもらえませんでした。
管理職に相談し、顧問にも納得してもらい、副顧問の下の顧問(指導はしないが遠征・練習試合の手配をする役割)になることになりました。
まもなく新年度というころ、顧問から突如「明日から来なくていいから」と言われ絶望しました。
部活動に来ないような教員はいらないということだったんだと思います。
おそらく、管理職に言われ、自分の意見が通らなかったことを恨んでいたのだと思います。
その顧問の先生は教員免許を持っていない実習助手で、私は教諭でした。
教壇に立つ以上、教員に上下もないとわかっていますが、そのときだけは「なぜこの人にそんなことを言われるのだろう」と思いました。




【相談した人・助けてくれた人】
相談はしましたが「そうなのね〜たいへんね〜」と言われるだけでした。
むしろ相談すると、私の話が他の人との話のネタになるようで、尾びれがついて噂になってしまいような状況でした。
管理職も問題になりそうなときは動いてくれますが、そのほかは「まぁまぁ」という感じです。

【改善のための行動】
とにかく根回しだけは大切にしました。
何かをするにも先生方の協力なくしては成り立ちません。
会議では寝ている方も多いので、協力してほしい先生には授業のない時間に尋ね、話をし、協力を仰ぎました。
管理職に許可され、会議で説明しても「そんな話きいていない」と協力しない方もいたので、とにかく「あなたに協力してほしい」という姿勢を取り続けました。
その分時間はかかりますが、そうやって納得してくれた先生はみんな優しい方ばかりで、そのおかげで行事も問題なく行うことができました。




【現在の状況と心境の変化】
体調を崩し、精神科に通いましたが良くなりませんでした。
その時お付き合いしていた方と結婚の話もでていたので、「結婚しろということなのかな」と思い、3月まで薬で耐え寿退職しました。
結婚し、心を休め、よくなるまで2年かかりましたが、いまでもたまに調子は悪くなります。
辞めたことにも、教員になったことにも後悔はありません。
全力で生徒と向き合い、たくさんの笑顔を見て、たくさん笑顔にしてもらいました。
担任していた生徒も卒業させることもでき、教員生活をひと段落させることができて良かったと思っています。

【学んだこと】
本当に心が疲れたときは、疲れも痛みもマヒして何も感じられなくなるんだと知りました。
あの経験のおかげで、このままだとまずいぞ・・・というからだからのサインに気づけるようになりました。



【当時の自分へのアドバイス】
やらない人の話は聞かなくていい。
全ての言葉をうのみにしなくていい。
この人いやだなっていうセンサーは正しいから、その人のことは信用しないで。
仕事すべてをひとりで抱え込まなくていい。
意外な人が協力してくれるから一人ひとり声をかけてみてほしい。
仕事は時間が解決してくれないけど、噂はそのうち消えるから、今は目の前のこと・ひとに向き合うだけでいい。